高野山を修行の地として請うた上表文 その5
嵯峨天皇から同年七月八日に勅許が下りている。
弘仁七年(816年) 六月十九日(空海43歳)
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(本文)今思わく、上は国家の奉為(おんため)、下は諸(もろ
もろ)の修行者の為に、荒藪(こうそう)を芟(か)り夷(た
いら)げて、聊(いささ)か、修禅の一院を建立せん。経の中
に誡(いましめ)有り、「山河地水は悉く是れ国王の有なり。
若し比丘、他の許さざる物を受容すれば、即ち盗罪を犯す。」
とあり。
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この部分も訳は必要ないと思います。高野山を修行の地として
賜ることが国家のためになるとしていますが、勅許がたった20
日程度でおりているところをみても、すでにこの手紙以前に
嵯峨天皇と空海の話し合いは済んでいて、書状自体が形式的な
ものであったのでしょう。
高野雑筆集 嵯峨天皇宛 弘仁七年 六月十九日 その5
空海 高野雑筆集 
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