某相国宛 弘仁七年十二月二十七日 その6
藤原真川にかわって、その師の浄村宿禰浄豊を某大臣に推薦する
書状。
(弘仁7年(816年) 12月27日 空海43歳)
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(本文)原憲が室には、紫炭、金のごとく、孔伋が家には米菜、
玉に似たり。すでにして風の朝(あした)、月の夕べ、飢えた
る蝉と与(とも)んじて悲しみに繞(まと)はる。雪の夜、霜
の晨(あした)、旅鴈と将(とも)んじて嘆き多し。
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(訳)孔子の弟子の原憲は清貧な暮らしであり部屋には炭も金
のようなものであり、孔子の孫の貧しい孔伋は米菜はまさに珠
玉のようであった事でしょう。秋風の吹く朝や月の冴え冴えと
夜は窮した蝉が飢えに苦しみ鳴くごとくです。雪の夜や霜が降
った朝は空を鳴きながら飛んでいく雁にも似て嘆き多いことで
ございます。
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*後半の表現は詩的で美しいのですが容赦なく貧乏のどん底
にいるのを強調しています。
空海が推薦する浄村宿禰浄豊という人が伊予親王の謀反の
嫌疑にあって官位を剥奪されたかどうかは、わかりませんが
貧に窮した山上憶良の例をみてもそこそこの官位でないと生
活していけなかったことがわかります。平安貴族ものんびり
歌ばかり詠んでいたのではなかったのですね。
都会では空に雁が鳴いて飛んでいくなどわからないと思いま
すが管理人の暮らしている田舎は夕方に雁が編隊を組んでV字に
飛んでいくのをよく見ます。鳴く声は「ギャ-」と、ひと声で
とてもでないが「美しい」声ではありません。
高野雑筆集 某相国宛 弘仁七年十二月 その6
空海 高野雑筆集 
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