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高野雑筆集 布勢海宛 弘仁七年 六月十九日 その3

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空海 高野雑筆集  
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布勢海宛 弘仁七年 六月十九日 その3
高野山を修行の地として請うた上表文に添えて
布勢海宛に出した手紙。 
  弘仁七年(816年) 六月十九日(空海43歳)
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(本文)貧道、少年の日、修渉の次いで、吉野山を見て
南に行くこと一日、更に西に向ひて去ること二日程に
して、一つの平原有り。名づけて高野と曰(い)う。
計(はかりみる)に紀伊国伊都郡(きいのくにいとの
こおり)の南に当れり。四面高山にして、人迹夐(じ
んせきはるか)に絶えたり。彼の地、修禅の院を置く
に宜ろし。
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訳はほとんど必要ないと思います。
注 貧道:自分の謙遜した謙譲語
修験道の祖とされる役の行者も高野山のような頂上付近が
平らでその山の周りに山の嶺がある山を好んで開いたとい
う事を何かで読みました。

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