某相国宛 弘仁七年十二月二十七日 その8
藤原真川にかわって、その師の浄村宿禰浄豊を某大臣に推薦する
書状。
(弘仁7年(816年) 12月27日 空海43歳)
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(本文)常に一忠を百君に尚(ねが)って、還って五尺の容るると
ころ無きことを悲しむ。悲しいかな、春の雨、林を栄(さかや)
せども、新たに栽(う)ゑたるものは蘂(はなぶさ)がなく、
秋の風、野を茂(ぼう)すれども、孤幹は未だ実らず。真川等、
訓に潤(うるお)うて年あれども、特に酬(むく)いたる日な
し。勢いなく力なくして、空しく肝胆を竭(つく)す。
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(訳)常に我が忠心をもって百の君に仕官を願っても、この五尺
の体を受け入れてもらえるところはありません。悲しい限りでご
ざいます。春の雨は林を豊かにいたしますが、新たに植えた木に
は花は咲きません。野原を吹きわたる秋の風に突っ立ている木に
は枝もありません。真川等が教えを受けた師の浄豊に報いること
ができません。勢いも力もなく空しく心憂うばかりです。
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*空海は人の窮情を訴える描写はうまいと思います。かの橘逸勢と
唐で同じ留学生であった時に2年後にきた遣唐使の大使に橘逸勢の
代筆していますが「唐で言葉も通じず金もなくオケラのような状態
だ。」と代筆しています。
高野雑筆集 某相国宛 弘仁七年十二月 その8
空海 高野雑筆集 
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