高野山を修行の地として請うた上表文 その1
嵯峨天皇から同年七月八日に勅許が下りている。
弘仁七年(816年) 六月十九日(空海43歳)
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(本文)沙門空海言す。空海聞く、山高きときは雲雨物を潤し水
積るときは則ち魚竜産化す。是の故に耆闍(ぎじゃ)の峻嶺には
能仁の跡休(やま)ず。孤岸の奇峰には観世の緃(あと)相続す。
其の由る所を尋ねれば、地勢自ら爾(しか)るなり。
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(訳)沙門空海言上いたします。、山が高いときは雲雨は草木を潤し
水が深い川池には魚竜が多く住みます。これの故に釈尊が説法した
とされる霊鷲山には以後も奇跡が続いていると言われていますし、観
世音菩薩の出現した補陀洛山はいまなお霊験あらたかであるとされま
す。その理由を考えますに地勢が霊域にかなっているからでございま
す。
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高野雑筆集 嵯峨天皇宛 弘仁七年 六月十九日 その1
空海 高野雑筆集 
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