某相国宛 弘仁七年十二月二十七日 その10
藤原真川にかわって、その師の浄村宿禰浄豊を某大臣に推薦する
書状。
(弘仁7年(816年) 12月27日 空海43歳)
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(本文)伏して願わくは、恩波を涸鱗(かくりん)に貸して、徳花
を窮翼に賜(たま)はば、則ち漢語詠じ易く、呉音誰か難しとせむ。
敢えて愚款を抽(ぬきい)でて、煩わしく簪珪(しんけい)をけが
す。
謹んで奉啓、不宣。謹んで啓す。
弘仁七年(816年)十二月二十七日
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(訳)伏してお願いいたします。御恩を賜りますれば、水を涸れた池
に入れて魚を泳がせるがごとく、徳花とされる「黄色の花を窮した雀
に与えて養う」という故事の花を浄豊に与えていただければ、漢の言
葉の簡単に理解でき南の呉の言葉も難しいものではありません。敢え
て愚かな者の誠心をお目にかけ閣下の清眼を汚しました。
謹んで言上いたします。不宣。謹んで申し上げます。
弘仁七年(816年)十二月二十七日
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*空海の文章を見ていていつも思うのはこの時代以前の古代の中国の
故事や記述が頻繁に出てきて、かなりの教養人でないと手紙の内容が
十分理解できなかったのではないかと思うことです。管理人も高校で
ほんの少し漢文を習いましたが「三教指帰」の原文などを見ても読め
る漢字の方がはるかに少ないとい思いました。
**この時代の知識階級の人は少なかっただろうと思いますが、レベル
は想像以上に高かったのではないかと思います。
高野雑筆集 某相国宛 弘仁七年十二月 その10
空海 高野雑筆集 
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