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高野雑筆集  嵯峨天皇宛 弘仁七年八月  その1

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空海 高野雑筆集  
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 嵯峨天皇より屏風に揮毫を命じられてそれを献上したときの
上表文。 その1    (弘仁7年(816年) 8月15日 空海43歳)
 少し長いですが当時の最高位の嵯峨天皇への手紙として
全文と訳を書いてみます。
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(本文)沙門空海もうす。去むじ六月二十七日、主殿助布勢海、
五彩の呉の綾、錦の縁の五尺屏風四帖をもて、山房に至り来れり。
 聖旨を奉宣して、空海をして古今の詩人の秀句を書せしむて
へり。
 たちまち天命を奉って驚しょうたとへがたし。
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(訳) 主殿寮の次官である助布勢海氏(すけふのせのあま)が
五色の呉のあやぎぬと錦の縁の五尺の屏風を四帖もって
高雄のお寺にこられました。私に古今の詩人の秀句を書け
との事でございますが、恐縮至極存じ上げます。
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(本文)空海聞く。物類形を殊(こと)にし、事群態を分かつ。
 舟車用別(こと)にして、文武才異なる。若しその能に
当たるときは、事、則ち通じて快し。用、そのよろしきを
失すれば、労すと雖も益なし。
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(訳)私の聞きますところでは万物はみなその形が異なっており
そのいとなみも区別があります。舟と車では用途が違います
し、文人と武人では才能、本分は異なります。能力に応じて
ことに当たらせれば終始上手くいきますが、間違って用いれ
ば徒労に終わるだけで利益などありません。
 *組織の人事配置などもこの通りだと思いますがやはり巧く
いっているのは日本の場合、少ないことのように思います。
**殊(こと)にし別(こと)にして異なる
**現代では「異なる」以外あまり使われないように思いますが
厳密な用例の区別があったのでしょうか。
***このあたり後で謙遜しているくだりはあるのですが「この
私でなければ誰が書くのでありましょうや。」といっている
ようでものすごい自信が出ています。それもそのはずでおそ
らく当時の日本には空海を超える書家はいなかったのではと
思います。なぜなら唐で空海の師の恵果の追悼の碑文と書を
空海が撰したことから空海は当時の唐でも超一流の存在であ
ったはずだからです。

コメント

  1. 吉田敏彦 より:

    私の家に弘仁7年8月15日付の空海から嵯峨天皇への上表稿(古い巻物)があり、以前から何が書かれているか調べておりました。先日、先生の「ブログ空海」で高野雑筆集の中にあるのを知り、図書館で山喜房佛書林発行の「弘法大師著作全集第三巻」の中で当上表全文を見つけコピ-してきました。早速軸を広げ比較してみましたが、空海の書が達筆のため、書道の素養のない私ではほんの一部分より判読できませんでした。上表文は漢文で書かれているのでしょうか。