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高野雑筆集  陸州の徳一宛  弘仁六年四月 その2

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空海 高野雑筆集  
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陸州の徳一宛に密教経典35部の書写を依頼する書 その2
           (弘仁6年(815年) 4月5日 空海42歳)
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(本文)咨(ああ)、伽梵の慈月、水あれば影現す。薩埵の同事、何れ
の趣(ところ)にか到らざらむ。珍重。珍重。
 空海、大唐に入って学習する所の秘蔵の法門、その末だ多からず、広く
流伝すること能はず。衆縁の力に乗じて、書写し、弘掲せんと思欲(おも
)う。所似(このゆえ)に弟子康守を差して彼の境に馳せ向はしむ。
 伏して乞う、彼の弘道を顧みて、助けて少願を遂げしめば、幸甚、幸甚。
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(訳)ああ、例えるなら慈悲深い仏陀の月の光が水があればそれを照らす
ように徳一菩薩とて同じことでございます。誠に喜ばしく有難いことでご
ざいます。
 この空海、大唐で学習しました密教経典はまだ多くを書き写しておらず
広く流布しておりません。多くの縁のある人によって書写し広めたいと思
っております。このゆえに弟子の康守を差し向けて遣わしました。
 なにとぞ私の願いをお聞きとどけいただければ幸いに存じます。
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*徳一は空海よりも14歳年上でこの時56歳です。東国では徳一菩薩と慕わ
れていた人です。前の嵯峨天皇宛の手紙といい、この時代の手紙の書き方
は目上の人に対してはこうも謙譲さをあらわにするのが普通だったのでし
ょうか。現代日本語ではとても使われない表現だと思いました。

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