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高野雑筆集 紀伊の大伴氏宛 弘仁八年 その3

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空海 高野雑筆集  
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紀伊の大伴氏宛 弘仁八年 その3
高野山下賜の勅許を受けた後、紀伊の大伴氏宛に援助を
請うた書状。
  弘仁八年(817年) (空海44歳)
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(本文)今、法に依て修禅の一院を建立せむと思欲(おも)ふ。
彼の国、高野の原、尤も教旨に允(かな)へり。故(かるが
ゆえ)に表を修めて情を陳(の)ぶ。天恩允許して符を下し
たまひ訖(おわ)んぬ。是(ここ)を以て、一両の草庵を
造立(ぞうりゅう)せんが為に、且(しばらく)弟子の僧
泰範、実恵等を差して彼の処に立ち向はせしむ。
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この部分は訳は必要ないと思います。
(注)天恩允許して符を下したまひ訖(おわ)んぬ。:聖帝
は慈恩をたれ官符を下さいました。
*弟子の実恵は空海の親族であった人らしく、空海の後継者に
なるひとですが、空海の入定後、唐の青龍寺に送った書状に
空海の死を「薪尽き火滅す」と書いているところが印象に
残っています。空海の一生は都の大学を飛び出してから休む
ことのない常に燃えているような人だったのでしょう。
 一方の泰範は最澄が自分の後継者と見込んだほどの人です
から、よほど優秀だった人だと思います。
 この自分の後継者となるような2人を立ち向かわせている
空海の意気込みが感じられます。

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