高野山を修行の地として請うた上表文 その4
嵯峨天皇から同年七月八日に勅許が下りている。
弘仁七年(816年) 六月十九日(空海43歳)
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(本文)空海好んで山水を渉覧せしに、吉野より南に行くこと
一日、さらに西に向かって去ること両日程にして、平原の幽地
有り。名づけて高野という。計(はかりみ)るに紀伊の国、伊
都の郡の南に当たれり。四面高嶺にして人蹤(じんじょう)み
ち絶えたり。
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この部分は訳は必要ないと思います。高野山を空海は以前から
知っていたのだと思います。はっきり思い出せませんが伝説で
は白と黒の犬を連れた猟師、実は何とかいう神様が教えてくれ
たようになっていたと思います。
以前から空海はここ(高野山)がいいと思っていたのでしょ
う。私が初めて高野山に行ったのは40年ほど前の小学生の時で
現在とは大分、違っていたと思います。
こんな山の上に都会があるような感じがしました。当時は観
光の馬車が走っていました。今も走っているのでしょうか。
高野雑筆集 嵯峨天皇宛 弘仁七年 六月十九日 その4
空海 高野雑筆集 
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