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高野雑筆集 嵯峨天皇宛 弘仁七年 六月十九日 その3

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空海 高野雑筆集  
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高野山を修行の地として請うた上表文 その3
嵯峨天皇から同年七月八日に勅許が下りている。
  弘仁七年(816年) 六月十九日(空海43歳)
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(本文)伏して惟(おもん)みれば、我が朝(ちょう)、歴代の皇帝、
心を仏法に留めたまへり。金刹銀台、櫛のごとく朝野の比(なら)び、
義を談ずる竜象、寺毎に林を成す。法の興隆、是にして足(た)んぬ。
但し、恨むらくは高山深嶺に四禅の客乏しく、幽藪窮巌(ゆうそうき
ゅうがん)に入定の賓(ひん)希なり。実(まこと)に是れ禅教未だ
伝わらず、住処相応せざるが致す所なり。今、禅経の説に准ずるに、
深山の平地尤も修禅に宜(よ)し。
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(訳)伏して思いますのに、わが国の歴代の天皇は仏法に心を留められ
ました。壮麗な仏教建築は櫛の歯のように、いたるところに立ち並び、
教義を議論する僧は寺ごとにおります。仏教は十分発展すると思います。
しかし、高山深嶺で修行する者は少なく、深い山で厳しい修行をするも
のなど希なことでございます。これでは禅教の修行も伝えてゆけません。
これはふさわしい場所がないからでございます。禅の教えによれば深山
で平地の場所が修禅には最も良いとされています。
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*「幽藪窮巌(ゆうそうきゅうがん)に入定の賓」とは四国徳島の太龍寺で
空海自身が虚空蔵求聞持法の厳しい修行をしたイメ-ジだろうと思います。

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