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高野雑筆集 布勢海宛 弘仁七年 六月十九日 その1

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空海 高野雑筆集  
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布勢海宛 弘仁七年 六月十九日 その1
高野山を修行の地として請うた上表文に添えて
布勢海宛に出した手紙。 
  弘仁七年(816年) 六月十九日(空海43歳)
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(本文) 比(このごろ)、消息(しょうそこ)を承らず。馳渇
(ちかつ)の惟(おも)い深し。陰熱(いんねつ)、惟れ温
(あたたか)なり。動止如何(どうしいかん)。空海、大唐
より還る時、漂蕩(ひょうとう)に遇ひて、聊かの小願を発す。
帰朝の日、必ず諸天の威光を増益(ぞうやく)し、国界を擁護
し衆生(しゅうじょう)を済(すく)はむがために一の禅院を
建立し、法に依って修行せむ。願わくは善神護念して、早く
本岸に達せしめよと。
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(訳)近況をうかがっておりませず、参りましてお話したいも
のです。6月(旧暦)になり暑く感じられます。このごろはい
かがでありましょうか。空海、唐より帰るときに舟が漂流して、
その時、願をかけました。それは「日本に帰り着いたならば
必ず諸天の威光を増し、国家を擁護し衆生を救済すべく一院を
建立し、法に依って修行いたします。願わくは神様、私を擁護
早く日本の岸にたどり着かして下さい。」
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*空海にとって役所の実務をする官吏はこの布勢海(ふせのあま)
という人だったのでしょう。空海とは嵯峨帝よりもひょっとした
らもっと懇意だったかもしれません。空海の伝記等では登場しま
せんが懇意だったとすれば当時の一流の知識人だったと思います。

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