スポンサーリンク

高野雑筆集  嵯峨天皇宛 弘仁七年八月 その7

スポンサーリンク
空海 高野雑筆集  
スポンサーリンク

嵯峨天皇より屏風に揮毫を命じられてそれを献上したときの
上表文。 その7      (弘仁7年(816年) 8月15日 空海43歳)
*******************************************
(本文)時に堯曦(きょうぎ)光を流し、葵藿(きくわく)自から
感ず。山に対して管(ふで)を握(と)り、物に触れて興有り。
 自然の応(いよう)、覚えずして吟詠す。すなわち十韻を抽(ぬき
い)でて敢えて後に書す。伏して乞う、天慈其の罪過を宥(ゆる)し
たまえ。幸甚、幸甚。謹んで書く所の屏風及び秀句の本、表に随(し
たがへて)奉進(ぶしん)す。軽(かるがる)しく聖覧を黷(けが)
す。伏して流汗を増す。
        沙門空海誠惶誠恐謹んで言(もう)す。
 弘仁七年八月十五日  沙門空海上表
—————————————-
(訳)時に聖帝の徳は光を発し、葵の花は自ら光に向かうがごとく
私もまた聖帝の徳に感激いたしておる次第でございます。山に向か
って筆をとり、物に触れては感きわまる次第です。私の心が自然と
呼応いたしまして思わず吟詠いたしました。その十韻の詩をあへて
後に付け加えました。どうかその罪過を聖帝の御慈悲をもって御宥
(ゆる)しください。この上なき幸せでございます。謹んで書きま
した屏風の秀句上表文にしたがへて進上いたします。軽々しくも
聖帝が御覧になることをけがし、冷や汗を流すを増し思いでござい
ます。沙門空海謹んで申し上げます。
 弘仁七年八月十五日(816年)  沙門空海上表
*******************************************
*嵯峨天皇への手紙ですが前段と後段は大変な謙譲の書き方です。
当時の最高権力者ですから当然といえば当然です。しかし現在も
何らかの組織に属している方はこのようでなければいけないので
しょう。1200年も前の手紙とはいえ、日本人の上下関係の気質は
この当時から、いや遠くそれ以前からこうであったのでしょう。
 少なくとも形式的な上下関係は絶対的です。
 一方、中段では書に関しては空海は時の絶対的権力者といえども
控えめな書き方の中にも「教えてやる」とばかりに啓蒙的です。
 手紙の前と後ろの数行を取ってしまうと空海のまさに啓蒙的「書
論」です。それがそう見えないところが空海のやっぱり「魔術師」
的な所だと思いました。後段は特に謙譲さをあらわにして強調した
方がいいのだなとこの手紙をみてわかりました。

コメント