福州の赤岸鎮のびん、門構えの中は虫です。この字とよ
みからすると漢民族でなく南方系の人だったのでしょう。
そうなると言葉も当時の唐語ではなかったかと思います。
当時の遣唐使船は国使である国書を持っているはずです
が当時の慣例で国書はこれを携行しないで代わりに日本国
の印符というのを持っていたようです。これはしかし最澄
の乗った第2船が持っていたようです。
国使といっても国書もなく酷暑の海を暴風雨の後に
漂流、船といい身なりといい当時の(びん)の役人の人が
信用したかどうか疑わしいですが投獄、略奪されなかった
ことなどをみると丁寧な対応を受けたようにも思います。
というのは(びん)の役人の人は陸路を行かず海路を勧
めたようで当然、船はボロボロで海に木ぎれが浮かんでい
るようだったでしょうし板切れの隙間から人の顔が怖々陸
地の人を見ているような感じであってとてもで無いが修理
しないと航行は無理だったと思います。
搭乗員に船大工が乗っていたとは思えず当地で修理し
てもらったのでしょう。当然、費用は当時の国使に対する
儀礼として大唐帝国の負担となります。

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