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空海は魔術師だった? メルマガ投稿から    Vol.15

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空海は魔術師だった?メルマガ投稿から
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 延暦23年(804年)に日本を離れて翌延


暦24年(805年)に恵果に会いわずか3ヶ


月で密教を根こそぎ譲り受けその年の12月に


恵果は入滅します。あわやというところでタイ


ミングがいいというか偶然とは思えないような


事がこの先もどんどん起こります。


 


 



  翌延暦25年(806年)の始め師の恵果の


ために碑文を撰します。


 恵果の門弟千人を超える中から密教の正嫡


になったとはいえ異国人の空海が書も文も任


されたのです。これは当時の長安においても


空海の書、文がいかに優れたかがわかります。


 ちょうどこの後、日本では桓武天皇が崩じ


て平城天皇が即位します。


 空海が長安に滞在中に当時の唐の皇帝徳宗


が崩じついで順宗が即位、しかし順宗は程な


く憲宗に位を譲ってしまいこれも死んでしま


います。


 


 ここに日本から順宗即位の祝賀の使者が、


日本から来たのです。


 しかし来たのはよかったが祝うはずの順宗


は死に慶が弔になっていました。


 使者の名は高階真人遠成(たかしなのまひ


ととおなり)と言います。空海にとってみれ


ば密教は譲り受け唐に用はなかったのですが


留学期間は20年でありどうやってこの使者


に帰朝の話をしようかと考えたはずです。


 ちょうど師の恵果に密教の体系を一挙に


譲ってもらおうと考えたように。ストレ-ト


に日本に帰りたいとこの使者には言わなかっ


たでしょう。 使者の高階真人遠成(たかし


なのまひととおなり)にとっても留学期間


20年と決められている者を連れて帰ると


なると、そこは官僚として問題がなくはな


いということになります。空海もその辺り


は知っていたでしょう。


 そこで遣唐使の大使に願うということで


なく唐の皇帝が許すとなるとだれも文句は


言わないというのを考えたようです。


 またこの日本からの使者に対しても無礼


にならないように周到な根回しをしたと考


えます。おそらくはこれが当たっていると


思います。

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