一介の留学生が大唐帝国の皇帝を動かす・・・
大げさにいえばそうなります。この辺りが本当に
とてつもない青年というか魔術師たるところです。
そこで登場するのがまた空海の文章です。
「性霊集」に収められている「本国の使と
共に帰らんと・・・」と続く文章は空海が
わずか1年程度で密教を習得、譲り受けたの
に帰らなければこのまま老人になってしまい
ます。この悔しい思いに耐える事が出来ない
としています。
空海は留学生として同行の橘逸勢についても
嘆願の文を代筆しています。しかし、これが大変
きつい容赦ないもので金はなく、中国語は喋れ
ずオケラのようです。
これは国家の損失ではないか。と書いています
が意味の取りようによってはダメ人間を強調して
いるようで何とも酷い表現です。使者の高階真人
遠成(たかしなのまひととおなり)は皇帝に上奏
し許しを得ます。
すべては空海の思い通りになったのです。
そしてこの使者と帰国することになるので
すがこの後、遣唐使がやってくるのは承和5
年(838年)であり空海が高野山で没する
のは承和2年(835年)です。この時帰国
しなければ日本の真言宗はなく空海は唐であ
の阿倍仲麻呂のような道を歩んだかと思い
ます。
ここで私が思うことがあります。
空海は日本に帰りたいだけだったのか。
詩文にかけては超一流であり中国語を
流暢に話し、明晰な頭脳を持ちオ-ル
マイティにこなすことが出来る。本国人
よりも漢籍に明るく まして需仏道にか
けては右に出でるもがいない。弟子に語
った形跡はありませんが空海の宗教的好
奇心からすると当時、世界都市の長安で
見たキリスト教、マニ教、拝火教イスラ
ム教などすべて比較研究していたのでは
ないかと思います。
文章においても書においても当時の長安で
右にでる者がなく、サロンのような所では詩
文の交換あり”その筐底にあふれる”とされ
ている空海は本当に日本に帰りたかった
のかという疑問があります。
では、どうして日本に帰ってきたのか
?空海はその時の遣唐使船で帰ってこな
ければ日本に30年先にしか遣唐使は来
ないということを知っていたとは思われ
ません。「運がいい」と言えばそれまで
ですが恐らく空海の”勘”だろうと思いま
す。確かに先に留学生として来ていた永
忠のように在唐30年という留学生をみ
てもいつ来るかわからないという気持ち
はあったでしょう。
永忠もまた空海の来た船で帰らなけ
れば日本には帰っていないのです。
ここで空海が徳島の太竜寺や高知
室戸岬で修行後に書いたとされる三
教指帰に青年空海が登場して「あな
たはどこに行かれるのだ?」との問
いに「私は兜率天に行くために急い
でいるのだ。」と答えている部分が
あります。
兜率天とは菩薩達が住んでおられ
る所で、弥勤菩薩が説法をしておら
れるという場所です。
空海は虚空蔵菩薩求聞持法の修行後唐
に行くことを決めていたように思います。
兜率天とは菩薩達が住んでおられる所
で、弥勤菩薩が説法をしておられるとい
う所というのは唐の青龍寺で弥勒菩薩は
師となる恵果のことではなかったか?な
どと思ったりします。

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