香川県の満濃池は大雨のたびに決壊し 国
守の何度もの嘆願で嵯峨天皇の命を受け、弘仁
十二年(821年)に空海が勅命の形をとって築
池別当として派遣され、再築された事です。
弘仁12年(821)5月の末、地域農民の
懇請を受けた讃岐国司の清原夏野は、空海が
築池別当となって故郷の困難を救ってくれるよ
う朝廷に上申をします。
以下が上申文の一部です。
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百姓、恋慕スルコト父母ノ如シ。若シ師ノ
来ルヲ聞カバ、必ズ履ヲ倒シ相迎セン。
伏シテ請フ、別当ニ宛テ、ソノ事ヲ済シ
ムベシ。
(『日本紀略』)
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このころの空海は高野山の建設に大変な時
期だったと思います。
何度も国守の要請があったようですが
それに応じていません。勅命の形をとっ
てやっとその重い腰を上げるのです。
空海は沙弥一人と童子4人を連れていきま
すが勅命にしては沙弥と子供だけのお伴だと
はどういうことなどろう。
この時、空海の多忙さから見て土木工事の知
識や実験など十分な検討が行われていたとは
思われないが格好としては旅の僧侶とそのお
伴だけということです。
しかし大規模な土木工事であり空海が何の準
備もしていないわけはないはずですでに頭の中
にはその工事行程がすでにあったであろうしこ
の工事を2ケ月程度でやっています。
すさまじいスピ-ドです。
映画「空海」では満濃池で修復作業に集まった
人々に空海が「わしはここに不動明王などを降臨
させ50日間夜も眠らず祈祷を行う。100日あ
ると思え」と言う場面があります。1200年前の実
際はどうだったのか分かりませんが綿密な計画が
空海の頭の中にあったのだろうと思います。
長い間「空海は魔術師だった?メルマガ投稿から」
を読んでいただきありがとうございました。この稿は
以前このブログでも一部取り上げたのですがメ-ルマ
ガジン用に(http://merumo.ne.jp/00575018.html)書き直
したものです。空海の渡唐から帰国までを中心に書き
ました。感想や文章中お気づきなった点がございまし
たらunclenet789@yahoo.co.jpにご連絡いただけました
ら幸いです。
ブログ空海 管理人


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