大使の藤原葛野麻呂としてはどうしようもない
悲嘆に暮れていたことでしょう。日本では一流貴族
で天皇の側近で暮らしていたことを思うと今まで経
験したことのない精神的な”どん底”に落ちたように
思います。それでも空海はじっと見ているだけだ
ったろうと思います。
空海は山林遊行者として山野を駆けめぐってい
た経験からしてまた年齢も30歳ぐらいだったろ
うから空腹ではあっただろうけど精神的にはなん
でもなかったように思います。
「やがておれの出番だ」
と思っていたのでしょうか?というのはあの日本
最初の戯曲「三教指帰」です。儒教、道教、を登
場させて最後に自分が”おいしい”ところをあま
すところなく書いているところです。将棋でいえ
ば「あとなん手かな」と思っていたかどうか。
おそらくは橘逸勢が大使の藤原葛野麻呂に直
接あるいは藤原葛野麻呂の従者に「空海と申すも
のがおります。この者の書く文章、右に出る者は
おりませぬ」とこれに近いことは言ったと思いま
す。藤原葛野麻呂にすれば自分も一流の貴族であ
り知識としては人に劣らないと思いながら、なす
すべ無く見れば航海で荒れ果てたボロ切れをひっ
かぶって、ずんぐりして目だけギョロギョロした
ような男に任してもいいものだろうかと思ったこ
とでしょう。空海の魔術師たるゆえんは絶対に「私
が・・・・」と先に出ないところでこういう場面が
後に何度も出てきます。そしてその場面の後空海
の立場や位置がすでに決まっていたかのように次
々に移ってゆくことです。
「三教指帰」でいえば儒教、道教、を登場させ
て最後に乞食の風体をしながらことごとく粉砕せん
ばかりに仏教を登場させ、光輝くばかりの「気」放
ちながらの空海が登場します。「三教指帰」を実際に
読んでみると待ちかまえていたような感じがあります。

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