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空海は魔術師だった? メルマガ投稿から    Vol.17

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空海は魔術師だった?メルマガ投稿から
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  空海は密教習得の計画に呪をかけたのでは


ないかという気がします。とんでもない空想


かもしれませんが空海が唐に居たのは2年程


度なのです。また師の恵果に会って3ヶ月で


その体系を根こそぎ譲ってもらいその年には


恵果は死んでしまいます。さらに来ないはず


の遣唐使がやってきて、そのまま帰れる運び


になります。運がいいだけでは説明できない


ように思います。



 空海の人間くさいところは後に三筆の一人


の橘逸勢も一緒に連れて帰るところです。こ


の時、橘逸勢自信が唐皇帝に上奏する文章を


空海が書いているところをみるとよほど唐で


は、いや遣唐使の出発から懇意であったと思


われます。しかし文章自体は悲惨さを訴え、


「・・・螻命をがくに転ずるに・・・・」


とオケラが溝にはまっ苦しくもがいていま


すと非常に容赦ない調子で書いています。
 
 帰国してからの橘逸勢と空海そして


嵯峨天皇交流は終生と続きます。



 空海が橘逸勢のために文章の代作をし


たように空海は関係のある人には非常に


丁寧な対応をしています。高野雑筆集


をみても高野山の設立時には米、味


噌などを寄進してくれた人には丁寧


に礼状を書いているところなどをみても


情厚い人だったんだなと思います。

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