日本大使、藤原葛野麻呂の一行は福州から唐の都
、長安まで「星出星宿」の強行軍の旅であったとされ
ています。やっとの事で長安についた空海はところが
すぐに師の恵果のもとを訪ねてはいません。
では何をしていたかというと梵語を習っていた
と言うのですが空海はそれなりに目的があったよ
うに思います。何をすべきか事前に決めていたの
ではないかと思います。「長安をみてやれ」と思って
いたのではないかと思います。当時の長安は人口百万
の大都市であり世界最大であっただろうと思います。
当時ヨ-ロッパでは、フランク王国、西南アジア
ではインド以西からアフリカ北部にまたがるサラセン
帝国があり人、物の交流が大変盛んであったと思い
ます。人が集まる所には宗教があり当時の長安では、
仏教では新進の密教、景教と呼ばれたネストリウス派
のキリスト教、イスラム教、拝火教、そしてキリスト教
、仏教、道教などを融合したマニ教と多くの宗教がすで
にあり、そのうちマニ教やゾロアスタ-は今日、消滅し
た観があります。これは宗教が時の権力者と密接に結び
ついていることです。
ゾロアスタ-教はササン朝ペルシャの滅亡によって
マニ教も同様に滅亡してゆきます。空海は王朝の衰退
が宗教の衰退と直結ているのを実感した事だと思います。

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