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空海は魔術師だった?・・5

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延暦24年(805年)に密教のすべてを恵果から譲られた
空海は翌年の大同元年(806年)に帰朝します。
最澄は延暦24年(805年)の6月に乗ってきた遣唐使
船で一足先に帰朝しており最澄の在唐も1年の短いもので、
その間このきまじめな人は、どことなく余裕のある空海と
違って張りつめた緊張の連続だっただろうと思われます。
最澄もできるだけ多くの教典を持ち帰ろうとと考えたの
でしょう。
在唐期間中整理するような余裕は無かっただろうと思い
ます。
対する空海も越州の節度使に依頼して多くの仏教以外の
文物などを集めています。ここで空海がすごいのは、極め
たはずの密教がすべてに優越するとは考えていなかったこ
とです。密教によることで森羅万象おのが意のままという
ことでなく、医学書や色々な類まで集めていることなどを
見ても単なる宗教家ではなく広く文化の吸収に努め、自国
の発展にと思ったはずです。
もっと驚くべきことは、延暦23年(804年)10月に唐に
着き大同元年(806年)10月に帰朝していることで、在唐
20年の決まりを破ってたった2年で帰国ですが次の遣唐使
が来たのは30年以上先の承和5年(838年)であり、もう
この時は空海はこの世の人ではありません。大同元年(
806年)に帰っていなければあの有名な阿倍仲麻呂
(文武天皇2年(698年)~宝亀元年(770年))のように
なって、唐で高官のようになったかもしれないけれど、
空海の真言宗はなかったということになります。
このような空海の時間の感覚というか機微はどこから
くるのでしょうか。
虚空蔵求聞持法の修行から、6~7年の空白、突然の
ように官僧として遣唐使船に登場、恵果を直接訪ねず、
梵語の勉強や有名人との詩文の交換、わずか3ヶ月で
密教の真言八祖となり、20年の留学の決まりを破っての
帰国。
対照的にきまじめな行動の最澄。まるで万人がここぞと
思うときに、全く、その思いとは反対側の方向に動いて跳
ね返って来るようにして結果的に短時間でことを成してし
まう空海。空海の帰朝後、このようなことが、まだまだ起
こりますが、これは、よほど自信のある人にしかできない
ことではないでしょうか。

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