空海と恵果が会ったとしているのは空海が持ち帰った
教典目録の「御請来目録」で”長安城のなかで、偶然に
恵果に会った”としている。この時代の文章の書き方がそ
うなのかもしれないが、恵果は当時の中国の密教の頂点
にいる人であり、その人と偶然に会うというのはどう考
えても嘘っぽい感じがします。
空海が恵果がいる青龍寺に行くと恵果は空海を一目み
るなり「前から、汝が来ることを待っていた。」と喜ん
で言うのです。このあたり、実際に空海と恵果はこれが
初対面のはずであり、このように行くものでしょうか。
そして、わずか3ヶ月で密教のことごとくを空海に
譲ってしまうのです。
延暦24年(805年)5月に初めて恵果と会い、その年の
8月に阿闍梨の位を授け、まして自分の弟子に遍照金剛と
名乗れといっている。遍照金剛とは太陽であり大日如来
である。弟子に法身そのものの名前まで付けている。
どう考えても尋常の所作だとは思えないことをしてい
ます。
そして恵果はその年の12月15日に死んでしまいます。
このとき恵果のための碑の建立の文と書が驚くべき
ことに、異国の僧、空海によってなされることです。
当時の世界の大都市、長安で文と書の達人は数多く
いたはずだろうと思いますが、これを空海が行ったと
いうことは、当時の長安で空海に並ぶ者がいなかった
ということになります。


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