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空海 秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)  その10

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空海 秘蔵宝鑰
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第九住心   極無自性心(ごくむじしょうしん)
 
 極無自性心(ごくむじしょうしん)の解釈に二つの旨がある
として一つ目は顕略、二つ目は秘密であるとしています。
 顕略とは大海は深くスメ-ル山という山は険しく高い。虚空
は広大であり芥子劫(けしこう:上下四方が一由旬(牛車が一
日に進む距離)の鉄の巨大な城に芥子の粒をを詰め込んで百年
に一度、一粒だけとり去り芥子粒がなくなるまでの無限の時間)
や磐石劫(ばんじゃくこう:上下四方一由旬(牛車が一日進む
距離)の巨大な大岩があり、この大岩の上に一年に一度天女が
舞い降りて柔らかい天女の羽衣で岩を擦ってすりへって岩山が
なくなってしまうほどの時間)とよく無限の時間をあらわすの
に出てきます。
 空海は言います。
 虚空やこれらの劫は数字で表わすことはできるが、人の心や
仏(仏心)の存在などは数字で表すことはできない。仏心こそ
すぐれているのである。しかし自らの心に迷うからあらゆる迷
いの世界の波は揺れ動く。
 迷うと迷いの波動に引き込まれるということでしょうか。ス
ペインの作家セルバンテスの「ドンキホ-テ」の中に「不安は
五感をかき乱す」というのがあるようです。不安になると悪い
イメ-ジに引っ張られてついにはそのイメ-ジが現実化します。
 
 さらに空海は続けます。
 心の源を悟れば水は澄んで静まり、澄み静まった水はすべて
の影を映すように一心の仏はあらゆるものを知っていてくださ
る。人々はこの理に迷い、迷いの世界をめぐっている。
 仏は自分の心の中にありその心の中の仏は自分をよく知って
くれているのに、全くちがうところに仏を求め続けてまるで円
の周の上をいつまでもめぐってそこから抜け出せなくなってい
るということでしょうか?
 自分の中の仏心は自分こそ仏の一人なのだといえる仏心を持
っている自分こそすばらしいのだと空海は言っていると思いま
した。
(感想の書き方まで秘蔵宝鑰調になってしまいます。)

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