第八住心 一道無為心(いちどうむいしん)
又は如実知自心と名づけ 又は空性無境と名づく
この住心だけ題に対する注がつけられています。冒頭から
儒教と仏教を比較して仏教の「法華経」を取り上げ天台の「
止観」を論じています。
「静かであってよく照らし照らしていて常に静かである。
澄み切った水は鏡のように事物を映し出し、また磨きをかけ
た黄金も影像を反映する。」
さらに
「認識すべき対象は菩提(さとり)に至る智慧であり菩提(
さとり)に至る智慧が認識すべき対象である。」と数学の
証明の必要十分条件のようなことを言っています。
「この住心を認識対象たる客観のない世界」としてありの
ままを映し出す心を前段の水や黄金のようにたとえています。
つまりみづからの心を知ることが菩提(さとり)だとして
いるのだと思います。
さらに
「どのように全智を求め、どのように菩提(さとり)を求め完
成するのですか。どのようにしてかの全智の中の智慧を起こす
のでしょうか。」
という問いに仏が答えて
「みずからの心において菩提(さとり)、全智を求めるので
ある。自らの心は本性が清らかだからである。心は身体の内に
も外にもない。またその内と外の中間にもない。」
さらに続けて
「心は目の領域などもなく見えるものでもない。虚空と同じも
のである。虚空と同じものであるからみずからの心が真実の心と
同じである。その本性が真実の心と同じであるから、それはその
まま菩提(さとり)である。」と結論しています。
まさに数学の論証さながらです。
どれだけ強くそして深く心の底から求める気持ちがあるのか”そ
の度合いによりますよ”といっているような感じがしてなりません。
空海 秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく) その9
空海 秘蔵宝鑰
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