さて、福州の長官へ嘆願書の代筆で空海一行は待遇が
がらりと変わり、唐の都の長安を目指します。星発星宿
の旅でかなりの強行軍であったようです。
延暦23年(803年)の12月に長安に着きますが、
最澄が着くやいなや直線的に天台山に向かったように、
空海はその師となる恵果和尚の元へ行かないのです。
空海が青龍寺へ行くのは延暦24年(804年)6月
です。この間、梵語を習うために別の師につくのです。
このあたりも不思議です。日本での修行で梵語の基
本的なことは知っていたはずだと推測できます。
まして空海ほどの頭脳なら梵語の習得に半年近くも
かかろうはずはありません。もちろん青龍寺に行って
直接、恵果和尚に会いたいと申し出ても門弟千人を
超えると言われる人に簡単にあえるはずもなかったと
思います。
ここで「福州の長官へ嘆願書の代筆」のときのよう
にじっくり時期を見ようと、この青年は考えたと思う
のです。帰朝してからもこのような行動が所々に現れ
ています。直接的な、はね返るような反応をこの人は
したことは無かったのだろうと思います。また要請が
あっても直ぐさまそれに応えて行動していません。
これは、性格というよりはそれが行えるような時期
、タイミングを計っていたような感じがします。
密教の体系を根こそぎ譲られることになるときも、
くれるというから、もらうのだというようなことになっ
ているのも不思議なことだと思います。
空海は魔術師だった?・・2
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