スポンサーリンク

空海著 般若心経秘鍵  序論 No2

スポンサーリンク
般若心経秘鍵
スポンサーリンク

空海著 般若心経秘鍵  序論 No2

序-6

観在薩埵はすなわ諸乗の行人を挙げ、度苦涅槃はすなわち諸教の得楽をかかぐ。

五蘊は横に迷境を指し三仏は堅(しゆ)に悟心を示す。

色空といえば、すなわち普賢、願(おとがい)を円融(えんゆう)の義に解き、不生と談ずれば、すなわち文殊、顔を絶戯(ぜつげ)の観に破る。

********(訳)*********

「観自在菩薩」は多くの教えの修行者の意味で「度一切苦厄」「究竟涅槃」は多くの教えによる喜びを示したものである。「五蘊」は空間的な迷いの境界を指し「三世諸仏」は過去・現在・未来の仏の時間的な悟りを示している。世界を構成する要素は絶えず変化はしているが実体はない。そう言うと普賢菩薩がほほえむ。「不生不滅 不垢不浄 不増不減」などというと文殊菩薩は空ということが通常の人の認識ではとらえられないのにそのようなことを論じる事は無益だと笑う。

*******************************

序-7

これを識界に説けば、簡持(けんじ)手を打ち、これを境地に泯ずれば帰一、心を快くす。

十二因縁は生滅を麟角に指し、四諦の宝輪は苦空の羊車に驚かす。

*******(訳)*********

一切の対象は心の本体である識によって現し出されたもので識以外に実在するものはないということ。また、この識による分別自体も正しいかどうかわからないのでありそうなると識自体が存在するとはいえない。仏が「是故空中 無色 無受想行識」と説法されると弥勒菩薩は喜んで拍手し仏が「無智亦無得 以無所得故」などとお説きになると観世音菩薩が満足される。十二因縁の教えすなわち「無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽」は生滅ということを独自に悟る人に教え「苦・集・滅・道」の4つの真理の教えは苦・空などの十六の相によって観察する仕方を教えを聞いて悟る人に示す。

************************

序-8

いわんやまたギャテイ(羯帝)の二字は諸蔵の行果を呑み ハラソウ(波羅僧)の顕密の法教を孕めり。一一(ひとつひとつ)の声字は歴劫の談にも尽きず、一一(ひとつひとつ)の名実は塵滴の仏も極めたまうことなし。この故に誦持講供すればすなわち抜苦与楽し修習思惟すればすなわち得道起通す。甚深の称、誠によろしくしかるべし。

*******(訳)*********

(羯帝)の二文字は諸々の教えの修行者の成果を内蔵し(波羅僧)という字は顕教・密にもわたってあらゆる教えを含んでいる。一一(ひとつひとつ)の音声の意味することについては、果てしなく長い時間語ったとしても尽きることがない。一一(ひとつひとつ)の名称と実体の意味することについては無数におられる仏も極められることがない。もし誦持(どくじゅ)し講ずれば抜苦し与楽し修習思惟すればすなわち悟りを得て神通力を起こす。意味があまりにも深いのは甚深の称、誠にもっともなことである。

************************

「修習思惟すればすなわち悟りを得て神通力を起こす」ここの修習思惟とは具体的に何なのか。

序-9

余、童を教ふるの次いでにいささか綱要をとって、彼の五分を釈す。釈家多しといえども。いまだこの幽を釣らず。翻訳の同異、顕密の差別、並びに後に釈するがごとし。

***********(訳)***************

私は年少の弟子を教える際「心経」のおおらかなところをかいつかみ五段に分けて解釈した。解釈する人々の数は多いがいまだ「心経」の奥深い意味を理解していない。それについては後にいくつかある翻訳の相違や「心経」が顕教の経であるか密教の経であるかという区別をあげさらに引き続いて理解するとおりである。

***************************************

コメント