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空海-新聞寄稿記事から・・・その2

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空海
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作家の高村薫さんが私の方の新聞の地方紙に21世紀の空海と題して
寄稿されています。後編では室戸岬での虚空蔵菩薩求聞持法のところ
です。虚空蔵菩薩求聞持法は道慈という人が718年にもたらしたと
されています。正式にはそうだと思いますが多分それ以前に日本に断
片的に伝わって知れ渡っていたような気がします。それは山伏のよ
うな山岳信仰です。
空海の当時は普通に行われているような修法だったのではないでし
ょうか。多くの書物が虚空蔵菩薩求聞持法が記憶が聡明に
なる方法と紹介されていますが実際にやられた方にお聞きすると
どうもそうではないようです。ある方は「どうも記憶量が良くな
るということでなく顔つきや表情など菩薩に近くなる。
それはその人にはわからず周りからみるとそう感じる」と仰って
いました。
またこれを2度修法したという女性の方は「記憶ということからは
関係ないのでは」と言いもう一人の方は「食事をほとんど、とらな
いせいもあるのか朦朧とした意識の中で光を感じました」というこ
とを言われていました。
最近は多くの方が空海の時代のように山野で修行せずに
求聞持堂という建物で行っていることが多いようです。
太龍寺の求聞持堂
求聞持堂
正式にはこれを修法するのにも段階があり特に満願の日は月食の日
でなければならないとされているようなので計画と準備がいるよう
です。
空海の修行した先の徳島県の太龍寺の大岩の上に行ってみますとそ
こはかなりの岩山です。今は杉やヒノキが植林されていますがよく
見ると小さい雑木が生えているだけなので1200年前の空海の当時、
ここはほとんど岩山ではなかったのかと思います。空海が修行され
たとする大岩から前を見ると阿南市の海の橘湾が見え岩のはるか下
には谷川があります。
空海が虚空蔵菩薩求聞持法を修法したとされる岩(南の舎身)
今は空海の像があります。
5
上の空海坐像の位置から前を見た風景
空海の見た風景
三教指帰での記述”谷響きを惜しまず”とはこの体験が昼なのか夜な
のかわかりませんが、実際にそこに立ってみると夜ではなかったの
ではないかというような感じが個人的にはしました。また当時、
この虚空蔵菩薩求聞持法を修法する人が空海の時代の前後もたくさ
んいた修行場としては知られたところではなかったかと思います。
空海の修行したのは”南の舎身”と言われるところですが”北の舎身”と
言われるところもありおそらくは、修法の場所だったと思います。
北舎身立て札
高さ7、8メ-トルくらいの大きな岩で上が平になっています。
今は誰も立ち寄らないのかもしれません。(北の舎心の上部)
北舎身
私はそれ以外は知りませんが太龍寺には周辺におおきな岩がたくさ
ん露出している場所があるのでこの他にもたくさんの僧が虚空蔵
菩薩求聞持法を修法していたのではと思ったりします。
そうなると、この修法は僧になるための過程の一つだったのではな
いかと推測したりします。
三教指帰の記述”谷響きを惜しまず”とは実際の地震を大岩の上で感じ
たことだとは思いませんが、そこで木、岩、草、鳥の声、風など見え
るもの感じるものが空間の中に莫大なエネルギ-放っていることを感
じることができたのではと思います。虚空蔵菩薩求聞持法をやっても
いない人間が語るなど恐れ多いことですが、そうではないのかと。
もう一方の室戸岬の修行です。ここは先の太龍寺から100キロほど
南です。
今は国道55号線が整備されているので車では2時間から3時間ぐら
いでしょうか。
でも空海の当時は道は整備されていなかったはずですからどうやって
行ったのか?
山越えするにしても周辺は高い山があり簡単ではありません。でも
太龍寺同様ここも修行場としては知られていたところではなかった
かと思ったりします。
とするるとここに至るル-トは修行僧の間では知られていたのではと
思います。
というのは室戸岬の洞窟の御厨人窟と神明窟という名前は空海以前
からあったと思えることです。
室戸岬の洞窟 左が御厨人窟 右が神明屈
ふたつの洞窟
この洞窟に初めて入った時、真っ暗な中で「キ-キ-」いうので何か
と思ったら天井に大きなコウモリがびっしり張り付いていました。
30年前のことです。
今は灯明がついて明るいようです。
洞窟の前は大きい砂利石が今でも散乱して砂も多く空海の当時はそ
こが波打ち際だったと思われます。ここに砂浜づたいに行けたのか
と疑問です。
また洞窟の上は数十メ-トルの崖になっていて私が行ったときに何
のためにかロ-プを垂らしてありました。
さて太龍寺での体験の三教指帰の記述”谷響きを惜しまず”で虚空蔵菩
薩求聞持法の体験はあったのに、なぜ当時からすればはるか離れて
食物に窮するような室戸岬までいき再び太龍寺以上と思われる修行を
する必要があったのでしょうか。
今風に言えばここも修行のコ-スの一部なんだろうかと思ったりしま
す。
推測の域を出ませんが太龍寺と室戸岬は当時、お決まりの修行コ-ス
だったのかもしれません。
ここで室戸岬での空海の体験”明星来影ス”についてです。明星なので
これは朝方の金星なのでしょうがはたしてそうなのでしょうか?
今では相当な地方の田舎に行っても満天の星というのをほとんどまれ
にしか見ることができません。
私自身が子供の時に50年以上前でもたまにしか見ることはありません
でした。
空海の当時まして人家遠く離れたところでは雲のない澄み切った夜は
隙間のないほどぎっしり詰まった星が見えたはずです。この体験が流星
の一群などとは到底思われません。” 明星来影ス”につて単純に”明るい
星がやってきた”と何も考えずに思うと宇宙からこれも途方もない莫大
なエネルギ-を授かったという体験ではないのでしょうか?
この体験が具体的にどういうものだったのか具体的な記述はないように
思います。曼荼羅のように言葉にできないようなものなのでしょうか?
虚空蔵菩薩求聞持法の修法は100日間虚空蔵菩薩の真言を1日1万回
声を出して唱えることです。時間にして7、8時間かかるそうです。
現在でも修法される方は食事は基本的に1日1回でそばがき程度のも
のだけだそうです。
空海の当時、太龍寺や室戸岬での修業ではおそらく食うや食わずの
修行だったと思います。太龍寺では朦朧とした中で意識が肉体を離
れて木、岩、草、鳥の声、風など見えるもの感じるものが
空間の中に莫大なエネルギ-放っていることを感
じることができ
それが”谷響きを惜しまず”ではなかったかと思います。
一方の室戸岬では虚空蔵菩薩求聞持法の真言を唱えている時、
太龍寺の時と同様な意識状態のなかでまばゆいばかりの星が
ぎっしり詰まった夜の空と自分が同化した、つまり輝くばか
りの星の中に自分がいる、ぎっしり詰まった星という星が
すべて自分の意識の中にものすごい勢いでなだれ込んできて、
自分自身が一瞬に破裂してしまうようなものすごい体験が
”明星来影ス”ではなかったのではないでしょうか。

私自身も般若心経の真言を100万回言いました。私の場合は
時間とか場所とかを制限しませんでしたので100万回いうの
に10ケ月かかりました。集中度にもよるのでしょうが般若心
経の真言を1000回いう時間は15分ぐらいだったと思います。

空海は生涯この虚空蔵菩薩求聞持法を大事にしたといわれてい
ます。
この後、空白の時期を経て遣唐使に登場して、のちの30年は
高野山で没するまで超人的な作業をしています。
大学で修学して官吏になっていたらいたら空海も真言宗もな
かったでしょう。

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