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空海-新聞寄稿記事から

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空海
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JUGEMテーマ:日記・一般

作家の高村薫氏が管理人の方の地方紙に21世紀の空海として寄稿されて
いました。6世紀に伝わった仏教は200年程度でかなり秩序も混乱して
奈良から京都への遷都も大きな要因がその仏教の秩序の混乱であったこ
とは映画「空海」の中でも表現されていました。
特に国家の手厚い庇護の元に置かれていた仏教はその反面で僧侶の堕落
あったことは否めないでしょう。そういう中で弓削道鏡が現れたりした
こともその表れであるかもわかりません。
空海が四国の讃岐から奈良の大学に入って当時の都の有様を三教指帰の
冒頭にかなりの思いで語っています。おそらく大学の講義は叔父の
阿刀大足についてすでに学んでいた以上のものではなく大変に退屈な
ものだったに違いありません。
三教指帰の原文でここに一人の甥がありから始まるところです
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復有一表甥 性則俍戻 鷹犬酒色 盡夜為楽 博戯遊侠 以為常時
顧其習性 陶染所致也
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大体の訳はこんな感じでしょうか。
この甥はひどく性格がねじけ狩猟や酒、女に昼も夜も溺れ賭博や
やくざのようなことをいつもしている。周りがそうなのでそうなって
しまうのだろう。
これは空海は自分の甥だと表現していますが大学の学生のありさま
だったのではないかと思います。ほとんどが当時の裕福な貴族の
子弟だったはずで門閥から将来が安心していられるからおこること
でしょう。
爰有一沙門から始まる有名なところでこの僧から求聞持法を教わった
とされています。確かに誰かから聞いたことは確かでしょうがどうも
これは大学を飛び出すための言い訳のような気がしてなりません。
おそらく大学に入って官吏なったところで出身の佐伯氏の門閥では
と思ったのではないかとも思います。有名な万葉集の歌人の山上憶良
も遣唐使の留学生ですが彼の歌を見ると生活にも窮したことがわかり
ます。空海ほどの才気あふれる人が"俺はこのまま管理で朽ち果てる
のか”と思ったかどうかどうかわかりませんが、そんな思いと遠くない
ところではなかったでしょうか。
記憶術ようなつもりで求聞持法を修行したとは到底思えない
のです。
しかし実際に空海は徳島県の太龍寺や高知県の室戸岬で
この修行をやっています。でも三教指帰に修行をしたと
あるのはこの2ケ所だけです。なぜこの2ケ所だけなのか
わかりませんが当時は有名な修行場だったのかもしれま
せん。
この2ケ所の太龍寺では谷響きを惜しまずとしているし
室戸岬では明星来影すとしています。虚空蔵菩薩の真言に
よって宇宙と交信できた体感の記述でしょうか。
しかし、これから10年、空海は歴史に登場しません。
登場するのは10年後の遣唐使のメンバ-になるときです。
この10年間は空海はどこで何をしていたのか弟子にも語
っていないようです。
遣唐使のメンバ-になり2年後の帰朝からは正確な記録が
あり没するまでの約30年間は猛烈な作業をする日々になり
ます。
空海入滅の知らせを唐長安の青龍寺に送った高弟の実恵の
手紙には空海の死を「薪(まき)尽き火滅す」と表現され
ているそうです。
おそらく実態もそのような"燃える"ような活動をされてい
たことでしょう。

  
 

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