空海が都の大学に嫌気がさしたのはわかるのですが、なぜ
なぜ密教だったのか。三教指帰を書いた時点でその引用が仏
教の教典からだけでも681巻という途方もない量です。
これ以外にも読んでいたはずであり、儒教の関係は叔父の
阿刀の大足に学んで幼少の頃から身につけていたとしても、
道教の教典となるとそれを学んだのは大学に入ってからでしょ
うから大変な読書量だと思います。
少なくても仏教経典は大学に入ってからでしょうから、そ
の膨大な量を2,3年で読破していることになります。そう
なると大学に入るやいなや嫌気がさしていたことになります。
やはり、奈良の仏教勢力を目の当たりにして朝廷でさえ、
押さえきれないものを実際に目で見て感じたからでしょうか。
道教に関して中国の皇帝は代々、道教に帰依して宮廷に
道教の道士を入れていますが日本の天皇はこれだけはしてい
ません。中国からすべての文化を取り入れ模倣してきたのに
これだけはしていないのはなぜなのだろうかと思います。
これはやはり日本神道の影響がまだ強く残っていたのでし
ょうか。道教はいけないが仏教はいいというのもちょっと
理解しにくいところではあります。
当時の仏教では密教が仏教としては一番新しくあったはず
で、空海はこれを仏教の完成された形だと考えていたようです。
しかし、これも鎌倉時代の禅に次第に押されていくようには
なっていきますが、当時の空海は密教こそが仏教であると考えて
おり、同時に対する最澄も法華一乗こそが誠の仏教だと考えて
いたようです。
密教を志したのはいいけれど密教の場合は当時の日本に、正
式な師という者はいません。正当密教でない雑密は空海以前か
ら伝わっていたようです。役ノ行者と言われる人は雑密の代表
者のように言われておりますがよくわかっていません。古い由
緒ある密教系のお寺はなぜかしら、たいてい役ノ行者が開祖に
なっています。
しかし教典は伝わっており、これを自分で読破したことにな
ります。1200年の前、コピ-も印刷機もない時代、大きな
お寺のたいてい経堂にある教典を見せてもらうにも許可がいっ
たはずであり、空海はどこかの大寺の経堂に自由に出入りでき
たことになり、有力な人の庇護があったと見るべきが、自然で
あろうと思います。
それと密教のことを説明できる人はいたのだろうと思います。
渡唐する前に当時の唐語ができたとなると、おそらくは、そ
の日本にきた唐人(中国人でなかったかも)か遣唐使で帰国し
た人から中国語を習い密教の手ほどきを受けたようにも思えま
す。
でもその人は密教の専門家では無かったのでしょう。空海が
書物で読んでいて知っていたとしても玄宗皇帝や安禄山・史思
明の乱に関わった不空のエピソ-ドやその弟子の恵果の話を聞
されたかもしれません。
当時の不空や恵果のことを空海が聞いたとき空海は密教は
国家さえ動かせると思ったと考えられます。空海が密教を志し
たのは何かの偶然では絶対無く、国家や権力者さえも簡単に動
かせると確信したからであろうと思います。
続2 三教指帰 なぜ密教だったのだろうか
空海 三教指帰

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