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三教指帰

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空海 三教指帰
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 三教指帰は空海24歳の時の作であると自分で書いて記しています
から虚空蔵求聞持法の修行を終えて奈良へ帰ってからでしょうか。
 一門の期待を裏切って大学を飛び出しているてまえ自分の生家の
善通寺に帰ったとは思われません。原文は漢文なので私にとっては
すらすら読むことなどできません。現代語訳を読んでみますといか
にも引用が多く全編引用での論文のように感じました。テンポが速
くて流れるような文章です。
 三教指帰に引用されている書物は仏教関係だけでも681巻に
のぼっているとされます。大変な量だと思います。
 構成は序と三巻になっており序では大学に学んだが飛び出した、
経緯、母方の甥に蛭牙公子というならず者がいてそれを更正さすた
めに儒教、道教、仏教の三教を登場させます。
 上巻では兎角公という人が登場して兎角公のこれまた母方の甥に
蛭牙公子のというならず者がおり亀毛先生という儒者をして諭して
もらうという設定になっています。序では空海の母方の甥に蛭牙公
子がいるとなっているので双方母方の甥となると空海と兎角公は従
兄弟になると考えられます。
 ここで亀毛先生は空海の叔父の阿刀の大足をモデルにしているの
でしょうか。
 さて亀毛先生は儒者の立場から中国の故事を引き四書、五経、春
秋、礼記を多く引用し忠がなんであるか、孝がなんであるか、学問
して立身することを勧めます。蛭牙公子は改心して勉学することを
誓います。
 中巻では道教の虚亡隠士が登場して来ます。虚亡隠士は傍らに
潜んでいて亀毛先生の語る儒教の説教では救えないのだと切り込
みます。亀毛先生が驚いて道教の虚亡隠士に教えを請うという設
定になっており、このあたり空海が道教が儒教よりも格が上だと
考えていたことがわかります。
 虚亡隠士は祭壇を築いて誓いを立てるなら教えようといい、
その通りにすると虚亡隠士は長寿の妙術、不死の秘訣を教えよう
と言います。まず五穀を断ち、辛みを摂ることをやめ酒肉を断ち
感情の喜怒哀楽を離す。そんなことができるかと思いますが?
 また、楮の実の服用や呼吸調整など道教の秘術を行うための
方法を述べています。
 虚亡隠士の説明が終わると亀毛先生、兎角公、蛭牙公子の三
人は虚亡隠士の前に跪いて道教を学ぶことを誓います。
 ここで空海は亀毛先生の儒教を道教に対して、完全に平伏
させるということをしており儒教との訣別を誓っているので
しょうか。
 そこへ青年空海扮する仮名乞児の登場です。亀毛先生論も
虚亡隠士論もそう長くないのですが、この下巻の仮名乞児論
は前の二論の倍以上の量があります。
 名前の示す通り、法と食を乞う乞食の坊主と自分で書いて
います。
 そのなりは頭髪を剃って頭はまるで銅のようで、顔は、土
製のるつぼであり体つきは貧弱である。このあたり過度な、
栄養失調でしょうか。
 食を乞う木製の鉢は欠けた破片をつなぎ合わせたもの。
 ボロの草履をはき、ロ-プのような帯を締め茅のござを
ぶら下げて、市場の乞食も顔を覆うとしており、縄張りの床几
を背負っている。あと顔のひどい描写に続きます。おそらく
虚空蔵求聞持法の修行もこのような風体で行い、放浪していた
のでしょうが空海の場合は、明確な目標があり漫然と自然との
調和を楽しむような山林遊行者では無かったのだろうと思いま
す。
 ここで自分のパトロンとも言うべき人の名前を挙げてい
ます。”私度僧の阿毘法師はもっとも親しい同志の友人であり
、光明という名の仏教信者はときどき信仰篤き施主となって
くれた。”このとき既に空海を後援する者がいたのでしょう。
 この仮名乞児にある人が儒教の忠孝を説きます。ここで
空海は両親への言い訳ともとれる”真理に一致するものであれ
ば目先の狭い局面必要はない”と突っぱねます。例として餓鬼
道に落ちた母を目蓮が救い那舎長者が地獄に堕ちた父の苦し
みを救うことを孝だと言います。これは手紙によって書かれ
たとありますから実際に両親へこのようなことを手紙を書い
たのかもしれません。
 虚亡隠士は「あなたは一体誰なのですか。」と問いますが
 仮名乞児は輪廻転生を説いて”一瞬の幻である私は日本国の
玉藻よる讃岐の島、楠の太陽を遮って生い茂る多度の郡、屏
風ヶ浦に住んでいる”とその生地を細かく答えています。
 これなどは後世の人が読むであろうなどと考えなかったとは
思えない記述だといえます。
 さらに虚亡隠士は「地獄とか天国とはどのようなところなの
か、なぜ、あなたはたくさんのものを身につけているのか」と
問いますが、これに、仮名乞児は「天国や地獄が固定している
ものであるわけがない。(中略)わたしは兜率天に急いでいる
のだ(後略)」と答え、その後、無情の賦(うた)と生死海の
賦(うた)というのを論じます。この二つが大変長い青年空海
の主張です。
 無情の賦では字句の通りの無情観を示しており現世の富や
繁栄など死んでしまえば何の意味もないことを論じます。
 聞いていた3人は気を失います。そこで仮名乞児は水瓶を
取ってその水に呪をかけて顔に注ぐと息を吹き返したとあり
既に空海が呪については知識があったことになります。
 生死海の賦(うた)では魚類や鳥類をあげて十悪を説いて
十善戒を説明して悟りに至る過程を比喩をとって説明してい
ます。
 最後に亀毛先生たちに儒教や道教をなんと浅はかであると
言わせており、仏教の勝利宣言になっています。
 

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