初めて、空海関係の本を読んだのがこの本でした。司馬氏の
考察もさることながら、(現在とは様子が幾分違うところもあ
りますが)実際に現地の調査もしておられ、読み物としてはお
もしろいと思います。専門的な部分もたくさん出てきますので
全部は今でもわかりません。
空海の家系の讃岐佐伯氏から始まって当時の香川讃岐の様子
や讃岐から中央へ出て行く人が官僚、学者が多く空海の当時、
大学に讃岐出身の学者が多かったこと、空海の母の弟の阿刀の
大足も桓武天皇の皇太子の侍講であることなどをみても讃岐か
ら何か中央へ進出する流れがあり、現在もそうですが香川県(
讃岐)では当時から教育に熱心だったのでしょう。
私が高校生の時に数学の先生が隣の香川県では耕地が狭く勉
学することに熱心で有名大学の進学率が高いというようなこと
を言っていました。今にしても学問して名をあげる、そういう
雰囲気が続いているのかもしれません。
多くの空海、弘法大師の本が天才とか傑出した人物として空
海をとらえていますが司馬氏は「空海の風景」でそうでありつ
つもどこか冷めた調子で見ているところが多くあります。
上下巻を3回ほど読みましたが読む度に、こんなことが書い
てあったのかと新しい発見をします。
空海の風景〈上〉
空海の風景〈下〉
空海の風景 司馬遼太郎著
空海の風景 司馬遼太郎著

コメント
東京国立博物館「空海と密教美術展」の紹介記事を見つけ、司馬遼太郎の『空海の風景』を急に読みたくなりました。
同書の初版が世に出た一九七八年と云えば、大学一年の冬。アルバイトや自動車教習所通いで忙しく、名著を読む余裕が無かったのかも。
司馬遼太郎と云えば、戦国物(国盗り物語)や幕末物(竜馬がゆく)、明治物(坂の上の雲)であり、『空海の風景』はそのどれにも属さない。
だから食指が動かなかったのだろうか。
しかし、薬子の変(二十章)における「平城天皇と藤原薬子」を「玄宗と楊貴妃」に喩え、比較する下りは、司馬史観の面目躍如たるものがありました。