般若心経の真言は「羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯帝菩提僧莎訶」の
代表的な訳は「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、幸いあ
れ」です。この意味が何なのかよくわかりませんでした。しかし前にも
書いたように、ここを宮崎先生(宮崎忍勝著 「現代人のための般若
心経」で)は「現代インドの聖者バクワン・シュリ・ラジネ-シは最後
の真言を
“往けり、往けり、超えて往けり、全て超えて往けり。なんという目
覚めよ、嗚呼!これで完全な知恵の神髄が完成する。”
と訳している」と紹介しています。生きていく上では、困難や問題の
ない人生などがあるはずがありません。仕事、生活、親子、夫婦
など時として大きなものが押し寄せることもあります。でも「超えて
往く」時間をかけて「超えて往く」、「全て超えて往く」それが一つ一
つの知恵の完成だと私なりに勝手に理解していました。
家族の意見の違い、不和、思い違い、諍い、親子間の対立など
これは今に始まったことでなく少なくとも私の家系では何百年も
同じ事を繰り返してきたのではなかったのだろうかと思うようになり
ました。
他の人から見れば一途な思いで勝手な事をするようにも見える
ようなことがあってもそれはその人にとっての「羯帝羯帝 波羅羯
帝 波羅僧羯帝 菩提 僧莎訶」であり彼岸へ至る思いではないの
でしょうか。
その人が死んだところで、その思いは子から孫へ覚えている記
憶とともに生活の習慣や考えや思いのなかにパタ-ン化された
覚えていない記憶まで累々と伝わっていくように思います。もしそ
れが因や縁ととなって繋がっていくとするなら切るようなことなどで
ないのだと思います。
ではどうすればいいのだろうかとなると全て受け入れることな
のではないのでしょうか。自分の存在は父母や父方、母方の誰が
一人欠けても存在しませんし、全て自分が心身で体現している。
自分は一人ではなく何百万、何百千万の人と一緒にがいるので
あり誰一人として拒否などできないのだと。拒否するということは、
それは繋がりを否定することであり繋がりを切ってしまう事なので
しょう。具体的には憎悪、怨恨、「死んだらいいのに」、「殺してやり
たい」という思いががこれに当たるのだと思います。
自分の中に何百万、何千万もの人がいるということは、物理的に
見たり話をしたりはできないかもしれませんが、それだけ多くの人が
呼びかければ力を貸してくれるのではないでしょうか(すこしあつか
ましい気もしますが)。
その方法は常に周囲にそして自分、自分の中の多くの人に常
に感謝することではないだろうかと思います。
般若心経の真言から思うこと
般若心経の真言
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